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お世話になっております。社会福祉法人みおつくし福祉会 児童心理治療施設 大阪市立長谷川羽曳野学園施設長 畠中 勇と申します。子どもたちは毎日元気に、いろんな形でわれ先にと自分を出してくれています。職員は全員一丸となり、送り出す子どもが想いや気持ちを自分自身の言葉で話せ、相手や周りに理解できる自己表現を行い、一人でも多く自分なりの自立が果たせる学園になる事を目標に取組んでまいります。今後ともご助言・ご支援・ご協力いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
長谷川羽曳野学園 施設長 畠中 勇
児童福祉法に定められた児童福祉施設で、学校や家庭などで日常生活を円滑に進めることが多岐に渡って難しいとされる子どもたちに対して、生活、心理、医療、教育が連携しながら総合的な支援を行う入所施設です。長谷川羽曳野学園は、令和元年度に児童養護施設から児童心理治療施設に施設種別が変更した、児童心理治療施設です。現在、大阪市こども相談センターから依頼された小・中学生を中心とした20歳未満の子ども達が生活しています。また、長谷川羽曳野学園から道路を1本挟んですぐの場所に、大阪市立長谷川小学校・中学校が併設されています。
昭和14年 1月
大阪市天王寺区国分町、長谷川源次郎氏が大阪市小学校虚弱児童の健康増進の目的で自己の土地を大阪市に寄付する。
7月
大阪市はここに大阪市立長谷川郊外学園を創立し、大阪市内小学校中体質虚弱児童に入所させる。戦災孤児及び戦災のため家庭教育に支障ある児童、外地引き揚げ児童などを入所させる。
昭和20年 10月
国民学校令により大阪市立郊外国民学校となる。
学園は寄宿舎として機能する一方、生活保護法第 7 条により保護施設として認可される。大阪市立郊外長谷川小学校と改称する。
昭和23年 4月
入所施設として寮舎は大阪市立長谷川学園と称し、児童福祉法第35 条により児童福祉施設として認可される。中学校を独立させ、大阪市立羽曳野中学校を創設する。
9月
児童福祉法による養護施設として認可される。
昭和57年 3月
新寮舎竣工する。
昭和58年 4月
大阪市立長谷川小学校、大阪市立長谷川中学校として発足、新校舎使用を開始する。
学園(寮舎)も長谷川羽曳野学園と改称する。
昭和59年 3月
大阪の緑化事業に伴う植樹を行う。
平成元年 4月
学園敷地、玉手山塊南側境界保護工事完了する。
長谷川羽曳野学園、長谷川小・中学校創立 50 周年を迎える。
平成28年 4月
学園の所轄が教育委員会からこども青少年局に移管。
平成31年 4月
学園の運営がこども青少年局から指定管理者として社会福祉法人みおつくし福祉会に業務を委託される。